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書名ヨミ | |
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編著者ヨミ | |
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成立 | 序跋奥書等なし。後表紙見返に複製の刊記あり、大正15年5月印刷・発行、編輯兼発行者 山田清作(東京市牛込区富久町八十四番地)、印刷所 〈株式会社〉審美書院(東京市京橋区新肴町十三番地)、発行所 米山堂(東京市牛込区富久町八十四番地)刊。稀書複製会第四期第十九回。「印行五百部之内第二一一号」の朱印(二一一は墨書)。 |
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成立西暦 | |
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内容 | 自筆本のコロタイプ版(玻璃版)複製。30際の天明8年9月、大坂を出発、長崎に遊び、伊勢長島に帰着するまでの絵入り旅日記。漢字かなカナ交じり。一部の絵には彩色刷入り。9月7日大坂の蒹葭堂主人と別れ暮過、渡海場兵庫屋より乗船、順風で8日朝八ツ時兵庫着。播州加古川泊。9日尾上社、石室殿、高砂、曽根の天神、姫路福中町灰屋四郎兵衛泊。10日有平(有年)新屋伊八泊。11日三石で「奥州秀平天駒ノ場」の芝居。藤井駅新シ屋利兵衛泊。12日二本松で休、岡山浦上兵右衛門(玉堂)泊。13日備中ヤ安之助宅で違棚と襖に山水図を描く。箕浦陸次(池田内蔵侯臣)、龍潭、浦上、安之助と酒宴。14日吉備津宮、雲国寺、三軒茶屋で休、藤ノ棚で休、矢掛川茂宇兵衛泊。15日備中七日市休、カンナベ駅で故郷ノ人司馬江漢に逢い同道。今津藤屋源助泊。16日ホウシ山を越え尾ノ路より上舟、宇島に掛かる。17日厳島参詣、「紙合羽ヲ着シテアルケバ鹿コレヲクハントス奈良ノ丁ノ如シ」「宗(宋)紫石ノ画孔雀ニインコノ絵アリ」。宮島市中イヨヤ久兵衛泊。18日風景を写すという司馬氏と別れ上舟、玖波駅に着、周防関戸、岩国錦帯橋、柱野駅大藤屋市松泊。19日中ノ峠、玖河本郷駅、高森駅、周防徳山毛利石見守様家中長沼権右衛門泊。20日トン田駅、富海駅、宮市駅、湊、小郡駅竹屋吉郎兵衛泊。21日山中駅、舟木駅、厚狭市、吉田駅万屋宇吉泊。22日小月駅、長府駅、阿弥陀寺、下関、センバ屋より乗船、小倉大コクヤ九兵衛で休、境丁綿屋喜兵衛泊。23日黒崎、飯塚泊。24日冷水峠、大宰府天神、原田泊。25日轟木駅、佐賀御城下問屋作兵衛泊。26日牛月、小田、塚崎、嬉野駅大和屋権兵衛泊「温泉アリ入甚妙湯ナリ」。27日彼木、大村駅松ノ屋甚助泊。28日ヒノ尾峠、日見峠、(以下は影印あり)暮七ツ時長崎西築丁服部甚蔵方に着。29日清川栄左衛門に「御前御画ヲ華人ニ鑑定ヲ頼」。10月朔日唐船を見、大須寺、丸山川崎屋、長崎山清水寺、崇福寺。夜清川太兵衛来、「秋谷へ御前之書画見せ候処甚歓シ由申ス」。2日清川太兵衛の家来となって唐人屋敷を訪ね張秋谷に逢、筆語、書画の弟子となる。5日清川太平次と同道、丸山の茶屋井筒屋で唐人の酒宴に参加、周壬禄、費晴湖と筆談。6日江戸丁油屋庄右衛門殿平船に乗り阿蘭陀船を見る。7日京長左衛門(姓京名璠字伯璵号扶丘)と知人になる。(長崎や唐人の言葉や風俗の記事あり、省略)。15日毛利和泉守(豊後佐伯藩主毛利高標)侯臣関谷善左衛門と知人になる。「甚ケンキノ人ナリ」。19日阿蘭陀屋敷を見物、「コンハンヤト云所アリ是ハ阿蘭タ台所ナリ色々ノタヘモノアリ」。「御前之御書」に程赤城の鑑定書が来る。20日司馬江漢が来る。21日費晴湖に十時梅厓より頼まれた扁額を頼む。26日長崎発足、諫早駅古庄野兵衛泊。27日嬉野泊。28日佐賀御城下長崎屋喜左衛門泊。29日轟木駅で石州浜田へ漂着した朝鮮人14人に逢う。原田佐賀屋工七泊。晦日飯塚泊。霜月朔日小倉御城下湊屋泊。讃州の沙門肥後探海と同宿。2日舟場より乗船。同船に〈京三条室丁〉本屋和泉内岩蔵と〈同〉同所利兵衛あり。赤間泊舟。8日下ノ関を出帆、上ノ関着。13日京風のため鞆で上陸、陸行。福山、四日市問屋重兵衛泊。14日岡山丸上町備中屋安之助着。15日備中屋で金屏風一双に米家山水を描く。淡河興春居宅で夜宴。16日出立、三石山口清兵衛泊。17日有年駅より赤穂まで舟行。片嶋より室ノ湊へ山越え、姫路灰屋四郎兵衛泊。19日兵庫手嶋屋泊。20日尼崎より川舟で大坂蒹葭堂着。21日橋清斎の催により大坂橘通五丁目大善亭で画会。23日銅座田中源次右衛門に行く。24日百軒丁油屋冬至会に蒹葭堂、林眉軒同道で行く。26日大坂出立、四ツ橋大仏屋より乗船、淀川夜舟。27日黄檗山、伏見海道、草津泊。28日関寉や泊。29日長嶋御城下着。一部の絵には「子順写」とあり、諸事を周旋した長崎人、林次郎平(名貞字子順号眉軒)の助筆。巻頭に男南溟筆の南湖肖像画の写真図版あり(『稀書解説』によれば、原本は亡佚、写真の複写)。 |
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備考 | 練色表紙。『稀書解説』第4編によれば、原本は春木南湖後裔の高橋南湘(京都)蔵。原本の巻頭13丁は破損と汚損のため本文のみを活字版4丁に収め、図画は省略する。原本のうち白紙のまま残された箇所は、そのまま白紙とする。○『夢境応酬』(149-68)参照。○10月14日条「唐人テウツヲ朝ツカウ時ヲカイヲ初メニシテシタカキニテカキメンホンノ中ニハキコミ其中ノ宜キ水ヲ手ニウケカヲニアテ手ハシツトシテ置顔ヲ廻シ候テ洗イ申候也」「唐ニテ墨候{カン}トテ筆建ノ中ニ猿ノ小サキヲ置ク是ハ墨ヲスル音ヲキヽテ筆建ヨリ出テモノカキシマウ時墨ヲナメテ仕廻ウ尤墨ヲシキトシ居候ヨシ唐国ニテ名硯ヲ持人ハ必是ヲヤシナイ置ヨシ周壬禄是ヲ申ス然モヨウイニハモトメニクシ」。 |
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資料所蔵機関の名称 | |
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資料種別 | |
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資料種別詳細 | |
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大分類 | |
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和分類1 | |
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