2023年5月17日水曜日

福田良輔「奈良時代東国方言の研究」ーー森山隆先生の書評→書評の亀鑑

 森山隆による要約

イ、縄文時代までは、中部地方以東の東日本地域では、原始 蝦夷語が最も広く行われていた。 

ロ、原始日本語ないし史前日本語は弥生文化の初期に北部九 州、中期に近畿地方に行われた形跡が認められる。

 ハ、史前日本語の東国地方への伝播は、日本語種族が東国へ 進出するような社会的経済的条件と政治状勢が成立した時代 で、弥生文化の東鼠地方への伝播とは必ずしも平行しない。

 ニ、四世紀中葉以後、大化改新まで大和系種族は東国地方に おいて先住夷種族の解体・同化、混血を繰り返して、大和 系種族化した東人(あづまひと)を生産し、これら混血の 東国庶民の子孫が第一次東国方言を形成した。

 ホ、奈良時代の東国方言は、右の(古墳時代の)東国方言が 更に大化以後の中央語系古代語の影響を受けて成立した第 二次的東国方言である。

 

 第二章について。古代日本語の音節結合の法則は近時「有坂 法則」と呼びならはされてゐる。この、古代の四母音aUO( 男性母音)とδ(女性母音)の結合についての秀抜な理論は、 論自体の批判よりも、提示された四母音の結合事実をいかに解 釈するか、という面から討究されるのが近年の傾向であったと 言へる。いはば古代語研究の基本的前提とも目された有坂法則 について、再検討された著者の独自の所見と、古代の入母音の すべてについて、その結合能力を調査し、さらに諸説錯綜する、 古事記のホに甲乙両類の別が認めちれるか否かについての見解 を述べられたのが本章の骨子である。 

有坂法則は「結合単位(およそ語幹または語根に相当)」を 作業の前提とし、同一結合単位内の母音の結合を精査された結 果、発見された法則である。その第二則のただし書きを便宜、 二音節語においてu-6結合は存在しない(周知の如く有坂博 士の表現は、もっと柔軟かっ慎重な別の表現であるが)と私な りに言ひ換へると、この法則は再考の余地があることを指摘さ れる。すなはち、有坂氏が除外された固有名詞の中に、前代の 音韻形式を伝へてゐる語があり、十数例のuIδ結合例を説か れるのである。もっとも著者の真意は有坂第二法則の否定では なく、人名・地名などに見えるulδ結合事例から、前代にお ける中舌的鱒uの存在を推定し、有坂法則をも含めて通時論的観 点から合理的な説明を試みられたもののやうである。この前代母音の推定はそれ自体、はなはだ興味ある問題であるが、従 来の四母音にとどまらず、古代八母音の結合様式の特徴をまず 明らかにし、推古期から奈良末期にいたる約二百年間の母音組織の変遷過程を通時的に考察し、ほぼ古事記成立期までは母音 調和の衰退期であり、それ以後は衰退期より崩壊期に臨んでゐ たとされる。 古事記のホについては、甲乙両類の区別が少なくとも残存してゐる、といふ論証過程を示されたが、とくに「国のマホラ= (国土の果て)」の解釈に示された新見は容易に読み過ぐし得 ないところであらう。 

 

第三章について。この章では、中央都人士の手が加はってゐ るかとも想定され勝ちな万葉集巻十四の資料的性格と、常陸国 風土記に採集されてゐる歌謡の方言的特色を吟味される。巻十 四の成立論は一・二にとどまらぬが、著者はかって「斯・西・ 抱」などの使用字母から複数資料説を提出されたことがあった。 本章では更に、巻十四の意義連想字母や東国方言的要素の記録、 編纂の諸事情を併せて家持が越中守であった五年間に、家持に よって整理され、表記字面にも家持の手が加はったことを考察 される。また常陸風土記歌謡については、当時の東国方言の成 立過程を示唆する方言現象と、動詞連用形の古語法に関連して 資料的価値の重要さを説かれる。 

さて、第四・五・六章は本書の中核をなす東国方言の音韻・ 語法・語彙に関する精緻な論証による新見に満ち満ちた各論な のであるが、すでに紙幅に余裕がなく、以下かいなでの紹介に 留まらねばならぬことをはなはだ遺憾に思ふ。 万葉集の防人歌・東歌を中心とする全数調査の分析的結論に よれば、単に音韻の面からのみ判断しても、東国にはほぽ各国 々を中心とする小方言区画が成立する。その全般的特徴は、中 央語に比し、甲iが基本的イ列母音であって乙宝の存在が認め られない。エ列に甲乙の音韻的対立が不確かで、オ列において も甲oより乙・oが、より安定した位置にあった。しかも中央語 に顕著な母音調和現象は存在せず、却って中央語に見られぬ特 異な結合単位すら発見することができる。等々。 右の事実は、中央語の古い語彙・語法が東国方言中に指摘さ れ得る事実と併せ考へて、奈良時代の東国方言が、文献時代に 前接する史前日本語ないし古代日本語当初の頃に分派した、と 推定される重要な理由の一つとなってゐる。さらに小方言区画 の特徴や、一地域・一個人に及ぶ方音の実例を細叙し、ひるが へって前代の古墳文化圏との重なりを確められる。その多彩な 論述の基底に、第一章以降、主張される著者の言語史観が具体 性をもって語られ、精彩を放ってゐるのである。

 第五章、語法について。「降らる」「干さる」「告らる」な ど「る」「ろ」や、「狙らはり」「立たり」「置かれ」などの 「り」「れ」は「あり」系語の後接によって生じた形だとする のが従来の諸説の一般的傾向であった。著者は、この接尾辞( 複語尾)が四段活であること、派生動詞の接尾辞「る」とは違 って、接続形式活用形式、意味の面からの、いはゆる形態的 機能において語としての自立性を有してゐる点を論証し、下 二活の複語尾「る」に先行して存在し、中央語系ではすでに 衰滅に瀕してゐた四段活複語尾であるとされる。また、この 事象に関連して中央語系に見える「過ぐり」「恋ひすちば」 の 「り 」 「ら 」 、 さ ら に は 接 尾 辞 「ゆ 」 「す 」 「ふ 」.の 機 能 と の 比 較 や 助 動 詞 「ら し 」 「ら む 」 「め り 」 に 含 ま れ る 「あ り 」 系 的 要 素 の 考 察 と 「あ り 」 系 語 尾 を 持 つ 「あ り 」 「を り 」 「け り 」 「せ り 」 「め り 」 な ど の 「り 」 の 形 成 に 関 す る 包 括 的 見 解 を 開 陳 さ れ る 。 こ れ ら 動 詞 語 尾 ・ 助 動 詞 ・複 語 尾 を 形 成 す る 「 り 」 「る 」 に 関 す る 発 生 史 的 ・ 意 味 機 能 考 究 の 論 証 過 程 を 読 む と 、 音 韻 の 各 章 に 比 し て ま こ と に 地 味 な 印 象 を 受 け る が 、 文 法 的 考 察 の 教 訓 的 在 り 方 を さ へ 感 ず る と 言 へ ば 、 癖 言 の そ し り を ま ぬ か れ ぬ だ ら う か 。 東 国 方 言 特 有 の 「な ふ 」「が へ 」 や 、 「な ふ 」 に 関 連 し て 「な な 」 、 さ ら に 「か も 」 「や も 」 の 論 考 か ら 、 語 法 概 観 と 章 節 は 続 く が 、文 法 史 の 単 な る 平 面 的 考 察 を 抜 け て 、 位 相 差 や 、 次 章 の 語 彙 の 項 と も 相 関 し て 、 分 布 に つ い て の 、 そ れ ぞ れ の 微 細 な 面 を 指 摘 さ れ る の で あ る 。


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