太田南畝さんへ、あなたの人生は幸せでしたか。
70俵5人扶持の徳川の下っ端幕臣の家に生まれたものの、その傑出した頭脳で、『寝惚先生文集』で若くして文名をあげて、その狂歌・狂詩で一躍江戸文壇のスターを駆け上った南畝。
晩年、我が子定吉は狂人となり、孫鎌太郎は生前は最後まで無役のまま。
田沼時代に、狂歌の友である土山某のおこぼれで吉原で豪勢な遊びに興じ、そして遊女までも身請けするクレージーな時代を経て、南畝はすさまじい勢いで筆を進める。
あの時代、600石の旗本があれよあれよの間に5万7千石の大名へと駆け上がった田沼意次であったが、その時代の風潮の中で、強烈なParodyで世間を魅了した南畝。
さて、あなたは幸せ者、それとも不幸者だったの。
近世文学者であれば、神様の如き南畝に対する、礼を逸する質問ですが、あえてご了承ください。
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