公儀所とは、萩藩江戸藩邸におて当役および加判役の下、幕府・諸大名との渉外実務を担当した役職である。その公儀人の日記が『公儀人日乗』。
これが面白い。当時、萩藩江戸藩邸から幕閣や有力大名などへのGiftが横行した。その量と質たるや半端ではない。
これは「付け届け」それとも「賄賂」.「口利き謝礼」、幕府重職への祝儀、見舞いの品なのか。
余りの多さに全期間にわたる調査は未完成であるが、それでも一年間分を算出したところ、その量に驚嘆した。
これほどまでに「Giftの交換」をしなくてはならないとすれば、おのずと(Marcel Mauss、1872年5月10日 - 1950年2月10日)の「Essai sur le don: forme et raison de l'échange dans les sociétés archaïques (1925)」を思い出さずにいられない。たしかに、贈答行為は社会的関係の潤滑油となる。
この役人たちは「後ろめたさ、ゼロ」人間。
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