阪倉篤義先生の研究によると、
・万葉集の名詞語彙の中で、語末に-U-がつくのは76語
1,季節
2,木綿
3,倭文
4,動植物
5,その他
その結果を踏まえて、基本語彙に多いと言う
2019年8月24日土曜日
2019年8月18日日曜日
2019年8月12日月曜日
「象胥紀聞」西荘文庫蔵印
沙羅書房目録第96号、295頁の10785には、売価378000円の「象胥紀聞」が販売され、
*揃 江戸後期写 絵入 西荘文庫蔵印
とある。
興味を引くのは、西荘文庫蔵印である。周知のごとく、西荘文庫の主人は小津桂窓である。桂窓、松阪の人、名は久足。文化元年(1804)誕生し、安政5年1856)死去。問屋「湯浅屋」の6代目。
西荘文庫は戦後散逸し、沖森書店を経由して、昭和26年11月の売り立てで、天理図書館・早稲田大学・無窮会図書館神習文庫、日本大学などに架蔵されるに至ったと思われる。
西荘文庫は戦後散逸し、沖森書店を経由して、昭和26年11月の売り立てで、天理図書館・早稲田大学・無窮会図書館神習文庫、日本大学などに架蔵されるに至ったと思われる。
さて、著者の小田幾五郎の生年は、1755-1832である。小田幾五郎の逝去後、わずか24、5年で小津桂窓の手に入ったのが、「象胥紀聞」であった。それほどに江戸後期の文人たちが朝鮮情報を欲しがっていたと言えよう。
なお、西荘文庫の蔵書印は、国文学資料館の蔵書印DBに詳しい。
なお、西荘文庫の蔵書印は、国文学資料館の蔵書印DBに詳しい。
2019年8月11日日曜日
日本文化の起源研究
| 画像ファイル名 |
| 縄文中期の人口分布と森林分布 |
| ユーラシア東部の樹林帯地図 |
| 遺伝子からみたヒトの位置 |
| 古典的な分類学上のヒトの位置 |
| 新人起源に関する二つの極端なモデル |
| 人類の系統発生概念図 |
| ネアンデルタール人の分子系統樹 |
| 古典的人類学による人種の分布図 |
| 血液の対立遺伝子データに基づく日本人地域集団間の類縁図 |
| アイヌの人種的位置を示す類縁図 |
| 植原和郎の二重構造概念図 |
| アイヌ・琉球人・本土日本人・コリアンの系統関係 |
| 根井正利による現代人の分布経路 |
| 宝来聡によるミトコンドリアDNAの分子系統樹 |
| 古典的遺伝マーカーに基づく世界26民族集団の類縁 |
| 約二万年前の日本列島と旧石器時代人骨出土地 |
| 鈴木尚による日本人形質の時代的推移 |
| 北と南の2系統をもつ原モンゴロイド |
| 日本人形質の+A60地代的推移 |
| 縄文時代人頭蓋と古墳時代人頭蓋 |
| 土井ヶ浜弥生人、本州縄文人、本州現代人間のスミスの距離 |
| スミスの距離のクラスター分析による東アジア5集団と北アメリカ4集団の近縁図 |
| スミスの距離による9集団の近縁関係3次元図 |
| 眼窩上孔と舌下神経管二分の出現頻度からみた日本列島諸集団分布図 |
| スミスの距離のクラスター分析による東アジア12集団の近縁図 |
| 宮本常一による東西民俗の対比 |
| 竪穴式住居の主柱配列と炉の構造 |
| 炉および住居設計原理の地域性 |
| 甕型土器の3形態 |
| 古墳時代後期における竈の保有率 |
| 竪穴式住居における炉の保有率の変化 |
| 造り付け竈の各部名称 |
| 造り付け竈の4類型 |
| 造り付け竈の地域性 |
| 甑形土器の蒸気孔の形態 |
| 甑形土器の地域性 |
| 6世紀までの造り付け竈普及と前方後円墳の分布 |
| 3世紀前半の墳丘墓の地域性+A18 |
| 古墳時代における移動式竈の広がり |
| 多摩ニュータウン遺跡群検出の竪穴住居の火処 |
| 内耳を持つ鍋と持たない鍋・釜の分布 |
| 鍋吊り型と鍋置き型の分布 |
| 民俗学からみた琉球と本土の文化要素 |
| 「北」「中」「南」の時代区分 |
| 弥生時代の南海産貝輪分布図 |
| 貝珠の分布 |
| アイヌの家の屋根 |
| 琉球の民家の模式図 |
| 刳舟の分布 |
| シキとタナの発達からとらえた構造発達の分類モデル |
| 主要4樹種の暦年標準パターンの作成状況 |
| 古人類編年と年代測定法 |
| オーストロネシア語族とアルタイ諸語の分布 |
| 音節縮約と高低アクセントの発生 |
| 人称代名詞の体系と変遷 |
| 法隆寺の伽藍配置 |
| 日本人の起源と地域性関連遺跡地図 |
| 大シーボルトと小シーボルト |
| 人類進化の4段階 |
| 日本人の様々な定義 |
| 日本の先史時代 |
| 日本人起源論研究史 |
| 植原和郎の「二重構造モデル」 |
| アイヌの系統的位置を示す類縁図 |
| 約2万年前の日本列島と推定されるヒトの移住経路 |
| いわゆるモンゴロイドの起源に関する新しい考え方 |
| 日本海における深海掘削地点で採取したコアの岩相区分 |
| 日本海の発達史 |
| 日本列島先新第三系の地帯構造区分 |
| 日本列島を構成する先新第三系付加帯の分類と分布 |
| 日本海の海底拡大と海洋地殻の形成 |
| ハワイ・ホットスポットからみた太平洋プレート |
| 底生有孔虫殻の酸素同位体比から復元した気候変動 |
| 大陸移動による赤道循環流の崩壊と氷河の形成 |
| 珪藻群集によつ360万年前以降の日本海の環境変遷復元 |
| 日本海南部域における過去8万年間の珪藻群集の変動 |
| 過去160万年間における日本海南部域での珪藻殻数のスペクトル分析 |
| 日本列島への哺乳類の移動 |
| 日本列島への哺乳類の移動 |
| 北西アフリカ沖の有孔虫殻による酸素同位体比の記録 |
| 日本海南部域における珪藻群集にみられる過去16万年間の周期的変動 |
| 最終氷期最寒時における来た太平洋域の古環境復元 |
| 氷期・間氷期サイクルに応答した日本海深層水の循環様式の変動 |
| 最終氷期最寒時の対馬海峡と津軽海峡の海岸線の様子 |
| ピナツボ火山から噴出した火山灰・火砕流と火山泥流の分布 |
| 九州における大規模火砕流堆積物の分布と阿蘇・姶良カルデラ |
| 過去12.5万年間に起きた日本の巨大噴火の歴史 |
| 姶良丹沢テフラの等厚線図 |
| 鬼界カルデラと周辺の海底地形 |
| 鬼界アカホヤテフラの等厚線図 |
| 鬼界カルデラ噴火の経過 |
| 米のアッサム・雲南起源説と考古学の立場 |
| 稲作遺跡の分布 |
| 稲の進化に関する仮説 |
| 2つのジャポニカの特性 |
| hwc-2遺伝子の分布 |
| 日本列島をめぐる三つの回廊 |
| 熱帯ジャポニカと思われる稲が出土している遺跡 |
| 更新世末期の主な化石人骨 |
| 「人種」の分布(ハウエルズ) |
| 弥生文化とオホーツク文化の流れ |
| 新石器時代(縄文時代)の主な人骨出土地 |
| 顔面平坦度による集団間の比較 |
| 頭蓋形態小変異に基づく人類集団の類縁関係 |
| ストレス・マーカーを用いた遺跡間の比較の例 |
| 塩基配列データに基づく系統ネットワーク |
| 山東半島の付け根にあり古都、臨し |
| 埋葬様式と配列グループにおける個体数の分布 |
| 現代人のDNAデータベースの検索結果 |
| 2.000年前の山東半島の人々と詫田西分貝塚遺跡の弥生人の塩基入れるデータに基づく系統ネットワーク |
| 山東半島2.000年前の集団と現代人集団の遺伝距離 |
| 判別関数でみた人骨形質の時代変化 |
| 頭骨の形態小変異22項目に基づく東アジア北アメリカオセアニア集団の類縁関係 |
| 歯のサイズの変化 |
| 渡来系弥生人に似た人骨が出土した大陸の遺跡 |
| 縄文~弥生時代の人骨出土状況 |
| 北部九州の農耕社会成立の関する2説 |
| 現代西南日本人を基線としてみた偏差折線 |
| 判別関数法でみた各時代集団の構成 |
| 開始期の渡来人の人口比 |
| 単純増加モデルの計算式 |
| 縄文人の人口増加率を0.1%とした場合の渡来系集団の増加曲線 |
| 混血集落モデル |
| 人口増加率の比較 |
| 混血集落モデルによる計算式 |
| 弥生開始期の混血集団の構成 |
| 第2集団の女性中に含まれる縄文人女性の比率 |
| 更新世動物化石の調査地 |
| 黒潮の流れと黒潮圏 |
| 琉球列島と旧石器文化 |
| 更新世終末期の列島旧石器文化 |
| 2つの丸ノミ型石斧文化 |
| 神津島産黒曜石の交易 |
| 八丈島倉輪人の故郷 |
| 2つのオノの道 |
| 2つの貝輪の道 |
| 小笠原諸島石野人の故郷 |
| 黒潮文化圏の先史文化の動態 |
| 櫛目文・櫛目文系土器と結合釣針の分布 |
| 弥生時代開始期の集団を表す用語 |
| 前期無紋土器系土器の分布1 |
| 玄界灘沿岸地域における在地甕と刻目紋土器の比率 |
| 板付祖甕型から板付Ⅰ式甕への型式変遷図 |
| 弥生Ⅰ期の甕組成 |
| 板付祖甕型の分布 |
| 前期無紋土器系土器の分布2 |
| 福岡・早良平野における弥生時代早~Ⅰ期の「遺跡分布 |
| 板付遺跡の板付祖型甕と変異型 |
| 比恵・那珂台地上の弥生時代早~Ⅰ期遺跡の分布 |
| 日本の歌の基本型 |
| 古事記歌謡のタイプⅠⅡの分布 |
| 短歌をめぐる詩型 |
| コノヤサクハナビメ型神話の分布 |
| 失われた釣針型式の神話の分布 |
| 「アイヌ語方言辞典」p.18の地図 |
| E.Stresmann,「パウロヒ語」p.214の地図 |
| ミクロネシアの諸言語略図 |
| Codrington, p.252-253より |
| 方言ハイ、ハエの分布 |
| 琉球の春の南空 |
| 地名ヨネ、ヨナの分布 |
| 韓国語形成史・韓国語の形成 |
| 高句麗語・朝鮮語・日本語系統図 |
| 清瀬のアルタイ語・古朝鮮三国語・日本語系統図 |
| 数詞單 |
| 数詞單と比定地 |
| 数詞三 |
| 数詞三と比定地 |
| 数詞悉 |
| 数詞仁 |
| 数詞の三国別表示 |
| 地名数詞と比定地 |
| ソ連アジア部の自然地理的地域区分 |
| ソ連アジア地域の起源を共通にする諸民族の地域 |
| 新石器と青銅器時代の考古学的文化境界と古人類学的資料発見の主な墓群 |
| 初期鉄器時代と紀元前後期の主な墓群 |
| 17世紀のシベリア民族地図 |
| 現代におけるシベリア諸民族の分布 |
| シベリアにおける目の色の地理的変異 |
| シベリアにおける毛髪濃度の地理的変異 |
| シベリアにおけるABOシステムのgeneの地理的variation |
| シベリアにおけるtransferrinのシステムのgeneの地理的変異 |
| ソ連のアジア地域とその周辺における人種形成の中心 |
| 東アジアの植生と文化領域 |
| ナラ林文化の発展段階とその文化的特色 |
| 縄文時代・弥生時代の人口分布 |
| 北東アジアのナラ林帯の主要遺跡 |
| 大麦のE型とW型との分布図 |
| 栽培カブの自然分布 |
| 花粉分析の行程 |
| ギリシアの植生図と花粉分析地点 |
| ギリシア、カトゥナ湿原の花粉ダイアグラム |
| ギリシア、コイラダ湾の花粉ダイアグラム |
| ギリシア北部の3地点の花粉ダイアグラム |
| ギリシア、ホトゥサ湿原の花粉ダイアグラム |
| トルコ、シリアの植生図と花粉分析地点 |
| トルコ、ベイシェヒール湖の花粉ダイアグラム |
| トルコ、ソグュート湖の花粉ダイアグラム |
| トルコ,ソグュートル湿原の花粉ダイアグラム |
| シリア、エルルージュ湿原の花粉ダイアグラム |
| オランダ、エングベルトスディジュスクビーン湿原の酸素同位体比の分析結果 |
| 大陸型畑作と江南型水田稲作の伝播推定経路と縄文時代のソバ属の花粉・果実の検出地点 |
| 佐賀県、唐津市菜畑遺跡の花粉ダイアグラム |
| イネ資料および水田跡の出土分布 |
| 長野県、唐花見湿原の花粉ダイアグラム |
| 群馬県、尾瀬ヶ原の花粉分析結果から明らかとなった気候変動曲線 |
| 中国、遼東半島南部の古気候変化曲線 |
| 地中海地域と東アジア地域の3200年前以降の民族移動 |
| 第1第2因子得点による集団の2次元展開 |
| 頭骨の9計測項目に基づくQモード相関係数行列にクラスター分析をほどこした樹状図 |
| 頭骨の7計測項目に基づくQモード相関係数行列にクラスター分析をほどこした樹状図 |
| 永久歯の歯冠近遠心径に基づくQモード相関係数行列にクラスター分析をほどこした樹状図 |
| 現代日本人頭骨の計測値にみられる地理的勾配 |
| 永久歯の歯冠近遠心径に基づくQモード相関係数行列にクラスター分析をほどこした樹状図(現代) |
| 頭骨の9計測値に基づく第1第2主成分値による2次元展開 |
| 文中に使用した人類集団とその位置 |
| バイカル湖地域の編年と絶対年代 |
| 新石器時代から初期鉄器時代にかけての顔面の平坦性の変化 |
| 新石器時代から初期鉄器時代にかけての西シベリア人類集団の頭蓋計測値を基にした近縁図 |
| 頭蓋計測値を基にした生物学的距離行列の二次元展開図 |
| 頭蓋形態小変異を基にした生物学的行列の二次元展開図 |
| 後期更新世の地理的状況 |
| 歯冠に現れる9形質項目の各集団における出現頻度から描いた各集団の類縁関係 |
| 各集団の5つの歯冠形質の出現頻度 |
| 歯冠計測値に基づくQモード相関係数がら多次元尺度更正法によって描いた2次元展開図 |
| 11頭骨計測値に基づくペンロースの形態距離からクラスター分析した樹状図 |
| アレクセーエフとトルブニコーワが頭骨の計測値から描いた集団の類縁図 |
| 24頭骨計測値を基にクラスター分析で描いたアジア・太平洋地域諸集団の類縁関係 |
| 頭骨の13計測項目に基づき各集団間のQモード相関係数をクラスター分析した樹状図 |
| 各集団間の頭骨計測値に基づくQモード相関係数から多次元尺度構成法により描いた2次元展開図 |
| 頭骨の13計測項目に基づき各集団間のQモード相関係数に基づく距離行列からクラスター分析でえがいた近縁図 |
| 図18.10と同じ距離行列から多次元尺度構成法により各集団間の類似性を2次元平面にプロットした図 |
| 日本人の地域集団間の遺伝距離 |
| 日本人の地域集団間の遺伝距離に基づく類縁図 |
| アイヌの人種的位置づけ |
| 耳垢型の分布 |
| 血清タンパクGc型の地理的勾配 |
| 赤血球酵素GPT-1遺伝子頻度の分布 |
| 南西諸島における耳垢型ウェット遺伝子の頻度にみられる地理的勾配 |
| 日本人集団の小進化の概念図 |
| 15個の多型遺伝子座のデータに基づく南西諸島の集団の遺伝的位置づけ |
| ヒト上科6種のミトコンドリアDNAにおける塩基置換数と配列の相同性 |
| ヒト上科・6種のミトコンドリアDNA相同領域の塩基配列に基づく遺伝子系統樹 |
| 日本人ミトコンドリアDNA多型解析で観察された62タイプの系統樹 |
| ミトコンドリアDNAの制限酵素切断型多型による3大人種の系統樹 |
| ミトコンドリアDNAの日本における地域特性 |
| 環太平洋地域におけるミトコンドリアDNA・V領域の9塩基対欠失の頻度 |
| 現代人128個体のミトコンドリアDNAの配列に基づく遺伝子系統樹 |
| 128人の現代人のクラスター分類とその地理的分布 |
| 浦和1号と現代人121人のミトコンドリアDNA・Dループ領域の塩基配列の比較 |
| 現代人および古代日本人骨のミトコンドリアDNAの配列に基づいた遺伝子系統樹 |
| 6番染色体上のHLA遺伝子群 |
| 公認されているHLA遺伝子型の種類数 |
| 家系におけるHLAの伝わり方の一例 |
| 世界におけるB8-BFS-C4AQ0-C4B1-DR3ハプロタイプの分布 |
| 世界におけるB58-BFS-C4A3-C4BQ0-DR3ハプロタイプの分布 |
| 日本人における代表的なHLAハプロタイプ |
| 東アジアにおけるB52-BFS-C4A3+2-C4BQ0-DR2ハプロタイプの分布 |
| 東アジアにおけるB44-BFF-C4A3-C4B1-DR13ハプロタイプの分布 |
| 東アジアにおけるB54-BFS-C4A3-C4B5-DR4ハプロタイプの分布 |
| 東アジアにおけるB46-BFS-C4A4-C4B2-DR8ハプロタイプの分布 |
| HLA遺伝子の頻度分布から推定した世界の25集団の近縁関係 |
| HLA遺伝子の頻度分布から推定した東アジアの18集団の近縁関係 |
| 世界におけるB46-DR8ハプロタイプとB46-DR9ハプロタイプの分布 |
| 東アジアにおけるB13-BFS-C4A3-C4B1-DR7ハプロタイプの分布 |
| HLAハプロタイプから推定される日本列島への移住ルート |
| 1950年代に流行したアジア風邪の拡散パタン |
| 非典型的感染パタンの模式図 |
| HTLV-1の常在地域 |
| 霊長類の系統と類似ウィルスの分布 |
| 霊長類における類似ウィルスの地理的分布 |
| 日本と近隣諸地域におけるHTLV-1の分布 |
| 日本におけるHTLV-1の分布の集団差 |
| 縄文人HTLV-1キャリア説に基づいた人の動き |
| アジアにおける疫学調査の結果 |
| フィリピンにおけるHTLV-1の分布 |
| 結核感染の疫学モデル |
| 結核流行の模式図 |
| 各部位における部位別ならびに年齢別頻度 |
| 結核性脊椎炎の進展と合併症 |
| この研究に用いた犬種と頭数 |
| イヌの血液蛋白質多型の遺伝様式 |
| イヌの血液中の16種の多型蛋白質の電気泳動像またはクロマトグラフ |
| 犬血球ヘモグロビン遺伝子構成の犬種差 |
| 犬血球ガンクリオシドモノオキシゲナーゼ遺伝子構成の犬種差 |
| 犬血漿ポストアルブミンー3遺伝子構成の犬種差 |
| 犬血漿プレトランスフェリン遺伝子構成の犬種差 |
| 分散共分散行列を用いた主成分分析による49犬種の2次元散布図 |
| イヌの導入経路の関連から推定した日本列島へのヒトの移動 |
| ミトコンドリアDNAのRFLPに基づくハツカネズミ亜種の分岐図 |
| 遺伝学的特性から推定したハツカネズミ亜種分化の筋道 |
| 遺伝学的に分化している三群のハツカネズミ亜種の地理的分布 |
| ミトコンドリアDNA多型からみたマウスの移動とヒトの移動 |
| 東アジアにおけるヘモグロビンβ遺伝子多型の分布 |
| 脳をくらべる |
| ヒトが登場する |
| ヒトの小進化と日本人の祖先 |
| 日本人の祖先の骨の化石 |
| 今の日本人の頭のかたちをくらべる |
| 頭のかたちの地域差とお互いの関係 |
| 縄文人はどう進化したか |
| 頭のかたちと大きさを距離であらわす |
| 頭のかたちと大きさを6角形でくらべる |
| 大学生の頭のかたちをくらべる |
| 歯のかたちでくらべた日本人と他の人種(1) |
| 和人・アイヌの進化とシベリア・北モンゴル人の影響 |
| 歯のかたちでくらべた日本人と他の人種(2) |
| 日本人の体格の変化 |
| 顔の凹凸をくらべる |
| 人種とまぶたのちがい |
| 北アジア系の渡来者の道 |
| 遺伝のかぎをにぎる粒 |
| PTCでわかる苦みの感じ |
| 電気泳動法の原理 |
| 耳あかの型の遺伝 |
| ABO血液型のみわけかた |
| 遺伝子がのっている染色体 |
| 動物・植物と染色体の数 |
| 自己を複製する遺伝子 |
| 味わう能力の個人差 |
| ラクターゼをもたないグループ |
| 耳あかの二つの型の分布 |
| 今日の人種分布 |
| タンパクからみた霊長類の親せき関係 |
| 日本人(和人・アイヌ)と他の人種の遺伝的な近さ |
| 日本人と周辺の人々の遺伝的な近さ |
| 遺伝子の頻度で集団の特徴を知る |
| 異常ヘモグロビンの分布とマラリアの分布 |
| 漢民族と日本人をくらべる |
| 血液型Aの遺伝子頻度は本州では北ほど低くなる |
| 年表1 動物とほ乳類の歴史 |
| 年表2 新生代第四紀 |
| 年表3 第四期沖積世 |
| 松菊里型土器関連遺跡図 |
| 南部地域無文土器(中期)編年図 |
| 石刀の型式変遷および編年 |
| 青銅器文化の分布図(1) |
| 青銅器文化の分布図(2) |
| 青銅器文化の分布図(3) |
| 各青銅器文化出土の遼寧式銅剣 |
| 7~10世紀の朝鮮半島 |
| 東アジア古代史図(7~10世紀唐を中心に) |
| 5~6世紀の朝鮮半島 |
| 東アジア古代史図(5~6世紀) |
| 紀元前後~4世紀末の朝鮮半島 |
| 東アジア古代史図(紀元前後~4世紀末) |
| 紀元前後までの朝鮮半島 |
| 東アジア古代史図(紀元前後まで) |
| 北部九州の弥生土器と朝鮮半島の無文土器・三韓土器の併行関係 |
| 原三国時代瓦質土器編年表 |
| アジアの支石墓と卵生神話の分布 |
| 先史時代遺物遺跡分布図 |
| 風神祭りの分布 |
| 上元仮装演戯の分布 |
| 陰暦正月15日の月見と月見時の篝火祭りの分布 |
| 鼠払いの火祭りの分布 |
| 疑戦の分布 |
| 農神祭の分布 |
| 草宴の分布 |
| 祈雨祭の類型と分布 |
| 告祀薦新の分布 |
| 成造つぼ・三神つぼの分布 |
| 韓国基層文化形成図 |
| 韓国基層文化領域図 |
| 韓国基層文化領域と文化要素 |
| サナウィ型音楽圏 |
| パンソリ名唱の出身地 |
| 「帝釈本説」の分布 |
| 民家類型の分布 |
| 現代人の歪められた価値観 |
| 大脳機能の可塑性 |
| 人間の大脳の成熟過程 |
| 人間とは何か |
| 人生のパターン |
| 日本のおもな化石人類の出土地 |
| 日本人の形成に関係したと推測される古人類の移動経路 |
| ABO式血液型のA型遺伝子頻度 |
| 身長の地域差 |
| 頭長幅示数分布図 |
| 北アジアと南アジアの顔 |
| 遺伝距離 |
| 遺伝子頻度と青森からの鉄道距離 |
| ミトコンドリアDNAの切断型の模式図 |
| 4種の制限酵素によるアイヌと和人のモルフの比較 |
| 3種の制限酵素によるmtDなタイプの比較 |
| 日本列島におけるスギ属の分布 |
| 日本列島におけるツガ属の分布 |
| 日本海の最終氷期以降の古環境変遷史 |
| 大陸北方・南方からの動物群の移動 |
| 晩氷期における荒屋型彫器の流入・伝播 |
| 縄文時代前期の日本列島の古気候 |
| 太陽黒点数の変遷 |
| 大陸型畑作と水田耕作の伝播経路とソバ属花粉・果実検出地点 |
| 「三国史記」による古気候変遷図 |
| 邪馬台国時代の寒冷気候を示す気候変動図 |
| 最終氷河期極寒期の日本列島の植生 |
| ナイフ型石器の形成とその分布域 |
| ヴェルム極寒期における開けた景観 |
| ナイフ型石器文化遺跡の分布 |
| 縄文後期から弥生の遺跡分布図 |
| 弥生時代前期から中期の遺跡数の変化 |
| 弥生時代中期から後期の遺跡の増減 |
| 弥生時代の剣と銅鐸の分布図 |
| 先史時代の人口変動の模式図 |
駱駝山房主人であった元京城帝国大学教授藤田亮策先生
周知のように、駱駝山房主人であった元京城帝国大学教授藤田亮策先生は朝鮮本研究第一人者であった。確かに藤田先生は大正11年3月に朝鮮に足を踏み入れられたとき、当時の朝鮮総督府古蹟調査課に勤務されたのを皮切りに、朝鮮半島全土および満州に至る地域の考古学的発掘と整理に奔走された。それゆえに、藤田先生は朝鮮考古学の先駆者としての目覚ましい業績があるだけに、広く考古学者として知られていよう。当時の京城にあった「書物同好会」の主要メンバーであると同時に、その会報に発表された先生の論文は、雑誌紙面の制約上、小編だが、いずれも珠玉の玉稿である。止目のかぎりでも、
1、「読史閑話」(1)~(5)、『書物同好会報』第3号~第7号、昭和14年3月~昭和15年3月
2,「華城雑記」『書物同好会報』第8号、昭和15年7月
3,「駱駝山房書屋展覧目録」『書物同好会報』第10号、昭和15年12月
4,「鋳字所応行節目に就きて」『書物同好会報』第11号、昭和16年5月
5,「鋳字雑記」(1)~(2)『書物同好会報』第11号~第12号、昭和16年5月~7月
6,「吏文と吏文輯覧」『書物同好会報』第15号、昭和17年2月
7,「衿陽雑録と著者」『書物同好会報』第16号、昭和17年7月
8,「海印寺事績に就きて」『書物同好会報』第17号、昭和18年3月
などがあり、あるいは、他所で発表なさった、
9,「新纂東文選につきて」『青丘学叢』第23号、昭和11年2月
の力編もあり、これ以上列挙する必要はあるまい。とにかく藤田先生は朝鮮本に関する当代一流の眼力と知識を備えておいでであった。
天津の盲人文化
東北アジアにみる盲人文化
永井彰子・松原孝俊
1.研究の背景・目的
昨年の第1年次調査(2002年7月および10月)において、中国天津市残疾人聯合会、視覚障害者日本語訓練学校を中心に中国の盲人文化に関する調査を実施した。そのなかで天津盲人協会の会員に対して聞き取り調査を行った際、中国の盲人文化に関する重要な証言を得ることができた。第2年次調査では、前年度の調査結果に基づいてさらに追跡調査、および展開調査を行う予定であったが、残念ながらSARSの感染拡大のため、中国フィールド調査は延期を余儀なくされた。したがって本年は、第1年度の研究調査の傍証を得るために、関連する文献調査に取り組まざるを得ず、
①中国古典の中の盲人文化関連記事データベース作成
②中国盲人文化に関する研究データベース作成
の2点に、集中的に研究調査を行った。
2.研究の成果
(1)「古代中国では民間に伝わる童謡や労働歌などの詩を集めたが、その際、記憶力にすぐれた盲人を同行して記憶させた。周代にそれらを文字化し『詩経』として編纂された。また、王が政策をたてる場合、参考になるような豊富な歴史的知識を提供したのは盲人の学者であった」。以上は天津盲人協会の盲人A氏による証言の第1である。
『詩経』編纂に際し、盲人の楽師である瞽師が伝承者として大きな役割を果たしたことは、史料に基づく先学の研究によって明らかにされている。孔子の時代が瞽師伝承の最後にあたることから、孔子が『詩経』を編纂したという説まで生まれている。このような瞽師の職能については『周礼』が詳しく記録している。瞽師は礼楽文化を担う楽人として、周王期の行政組織に組み込まれていた。一方、故事伝承に通じた知識人として貴族の子弟教育に携わり、あるいは予言者として王侯の身辺近くにあり、諫言を行うこともあった。
周王朝と諸侯国の国史は盲人が口誦で伝承してきた世継ぎの歴史を主体としたものであった。また『春秋』『国語』は瞽史の徒が口誦していた各国の説話を整理したものとされている。しかし戦国期に入ると、筆墨を用いて竹簡や木簡に記録することが一般に普及してきた。竹簡や木簡上に書かれた記録や年代記がより重要視されるようになった。そのため、歴史伝承に携わった瞽師はかつてのような賢者の地位を失ってしまう。戦国期以降、君主権の伸長に伴う能力主義的官僚の登用、社会における合理的風潮の進展とともに、盲人を含む障害者は健常者より劣る者として扱われる傾向が生じるが、盲人の楽師に関しては、音感に優れているという点で能力を評価された。
(2)「文字が発達してくるにつれ、盲人たちは遅れをとるようになった。盲人たちは生きるため音楽のほかに算命(占卜)にも携わるようになった。漢代には、皇帝に対し、その側近の一人である東方朔が算命が盲人に適しているので、生業とすべきであると進言し、皇帝はそれを受け入れた。盲人たちは算命の技術を口伝心授の形で晴眼者や盲人の先輩から習得した。それ以後、算命に携わる盲人たちは東方朔を畏敬し、2千年来、その業績を記念するために神格化して家毎に祭り、感謝の念を伝えてきた」。これが天津盲人協会のA氏による証言の第2である。
この東方朔(前154年頃~前93年頃)は前漢の武帝に仕え、金馬門侍中となり、ひろく諸子百家の語に通じていた学者である。前漢時代(前202~後8)は讖緯神学、各種の方術や迷信が流行した時代である。洪丕謨・姜玉珍両氏によれば、中国算命術の起源はおよそ両漢時代に始まったことは『白虎通義』『論衡』などの著作の記載から確認できる。両氏は後漢末年に算命術の概念が確立し雛形が形成されて以後、唐朝の李虚中を経て発展し、基本的な体系が形成され、さらに徐子平(五代)の「四柱」の法を経て完成されたとしている。盲人たちが東方朔を神として祭るのはこのような歴史的背景が反映されたものであろう。また奇行が多かった東方朔は方士として活躍し、さまざまな伝説が語り伝えられた。盲人たちが自分たちの生業が皇帝から認められたことを主張するために広く知られた東方朔に仮託したと考えることもできよう。これまでの調査では、天津において算命を業とする盲人の存在を確かめることはできなかった。しかし、1919年に北京の盲人ギルドである三皇会の集会に出席したシドニー・D・ギャムブル氏がその組織について調査した記録がある。また、1926年から1927年にかけて同じく北京のギルドの実態調査を行ったJ.S.バーヂスは盲人たちが師曠とともに東方朔を神として礼拝したことを記している。ただし、この場合、東方朔は盲人の演芸家であり、洒落や諧謔の物語師とされている。
(3)天津盲人協会のA氏による第3の証言は次のようなものである。「国家主義体制の中で中国の障害者は非常に影のうすい忘れられた存在であった。盲人たちの活動に国家が関与することはなく、国家権力の及ばないところで活動するほかなかった。盲人たちは自分たちで組織を作った。それが開放前に存在した三皇会と呼ばれる組織である」。三皇会に関して知り得た成果は前回報告した通りであるが、天津二次調査では、天津盲人協会のB氏から次のような別の証言を得た。「盲人仲間が甚だしい差別を受けた場合に三皇会に訴えると会のメンバーが代わって大挙して抗議に出向く。相手方は赤い布を買い盲人たちの杖に結びつけてお詫びのしるしとしなければならなかった。盲人をいじめると三皇会が出てきて恐ろしい目にあうと言われていた」。B氏(70歳)によれば、この情報はかつての三皇会員から直接聞いたのではなく、盲人仲間から人づてに聞いた伝聞である。現在、三皇会については又聞きによる情報しか得られないという。
以上のような証言は盲人集団の性格を考える上で興味ある情報を提供してくれる。しかしながら盲人協会を管理統制する立場にある天津残疾人連合会が国家と共産党の二重組織となっており、三皇会は解放前の団体であって、共産党としては必ずしも歓迎すべき話題ではないとの意向が示された。したがってこれ以上の聞き取り調査は困難であると判断せざるを得なくなった。また、盲人に個人的に調査を行うことによって天津の盲人の間にトラブルが起きたことを配慮すると、調査を継続すべきかどうか疑問が生じてくる。さらに天津調査が決定的痛手を被ったのはSARS(重症急性呼吸器症候群)の発生である。そのため2003年春に予定していた中国調査の実施は延期せざるを得なくなり、中断したままとなった。
3.研究の将来計画・課題
(1)2004年には中国渡航の安全性を確認した上で、調査の再開を期している。今回は北京市を中心に盲人に対する聞き取り調査に重点をおいて実施する。
(2)本年は、盲人への聞き取り調査にあわせて文献史料の収集を行ってきた。「中国における学術の近代化は、おおむね外国の研究者によって、その先鞭がつけられている」と、白川静氏が述べているが、盲人文化の歴史的研究もその例にもれない。東アジアの盲人に関して、すでにイギリスのM・Milesが書誌学的解題を加えた文献リストを作成しているが、この先行調査を踏まえて、あらたに最近の研究段階を把握するために、さらに東アジア盲人文化研究データベース作成を試みたい。(未完)
高句麗神話
『広開土王碑文』釈文
第1面
惟、昔、始祖鄒牟王之創基也。出自北扶余天帝之子、母河伯女郎、剖卵降世、生而有聖□□□□□□命駕、巡幸南下。路由扶余奄利大水、王、臨津言曰、「我、是、皇天之子、母河伯女郎、鄒牟王、為我連葭浮亀」。応聲、即為連葭、浮亀、然後造。於沸流谷忽本西、城山上、而建都、焉不楽世位、天遣黄龍、来下、迎王。於本東岡、履龍首、昇天、顧命世子儒留王、以道興治、大朱留王、紹承基業、□至十七世孫国岡上広開土境平安好太王。二九登祚、号為永楽太王、恩澤洽于、威武振被四海、掃除□□、庶寧其業、国富、民殷五穀豊熟、昊天不弔、卅有九宴駕、棄国、以甲寅年九月廿九日乙酉、遷就山陵、於是立碑、銘記勲績、以示後生焉、
『三国史記』巻13、高句麗本紀
高句麗本紀第1
始祖東明聖王、姓高氏、諱朱蒙(一云鄒牟、一云衆解)、先是、扶余王解夫婁老無子、祭山川、求嗣、其所御馬、至鯤淵、見大石相対、流涙、王怪之、使人転其石、有小児金色蛙形(一作蝸)、王喜曰、此乃天□我令胤乎、乃収而養之、名曰、金蛙及其長立為太子、後其相阿蘭弗曰、曰者天降我曰、将使吾子孫、立国於此、汝其避之、東海之浜有地、号曰迦葉原、土壌膏□宜五穀、可都也、阿蘭弗遂勧王移都於彼国、号東扶余、其旧都有人、不知所従来、自称天帝子解慕漱、来都焉、又解夫婁薨、金蛙嗣位、於是時得女子、於大白山南優渤水、問之、曰我是河伯之女、名柳花、與諸第出遊時有一男子、自言天帝子解慕漱、誘我於熊心山下鴨緑辺室中私之、即往不返、父母責我無媒而従人、遂謫居優渤水、金蛙異之、幽閉於室中、為日所□、引身避之、曰影又遂而□之、因而有孕、生一卵、大如五升、許王棄之與大豕、皆不食、又棄之路中、牛馬避之、後棄之野、鳥覆翼之、王欲剖之、不能破、遂還其毎、其母以物畏之、置於暖処、有一男児、破殻而出、骨表英奇、年甫七歳、厳然異常、自作弓矢射之、百発百中、扶余俗語善射為朱蒙、故以名云、金蛙有七子、常與朱蒙遊戯、其伎能皆不及、朱蒙其長子帯素、言於王曰、朱蒙非人所生、其為人也。
高句麗泉男産墓誌銘
所在:羅振玉蔵
年代:長安2年(702年)
出典:『韓国金石文追補』263頁
<本文>
大周故金紫光禄大夫行営繕大近上護軍遼陽郡開国公泉君墓誌銘并序
君諱男産遼東朝鮮生也、昔者東明感気踰■川而■国、朱蒙孕□臨□水」而開都威漸扶索之津力制蟠桃之俗、雖○辰海嶽、莫繋於要荒而、爼豆詩書有通於声教承家命氏君其後也、乃高乃曾継中裏之顕位惟祖惟称伝」
新羅文武大王陵碑
所在:慶州博物館
年代:
出典:『韓国金石遺文』一志社、1985年、61-65頁
<本文>
第1行 奉 教撰
第2行 匡時□□応□□□□□□霊□□
第3行 接黄龍駕朱蒙□□□承白武
第4行 魏蕩蕩□□□而称者 我□□
第5行 枝載生□□□侯祭天之胤伝七葉以□
牟頭婁墓誌銘
第1行 大使者牟頭婁
第2行 又
第3行 河泊之孫日月之子鄒牟
第4行 聖王元出北夫餘天下四
第5行 方知此国都最聖□□□
第6行 治此□之□□□□□聖
第7行 王奴客祖先□□□北夫
第8行 餘随聖王来奴客□□□
第9行 之□□□□□□□□□
第10行 世遭官恩□□□国岡上
第11行 聖太王之世□□□□□
第12行 □□□□□□□□□□
第13行 非□□□□□□□□□
第14行 叛逆□□之□□□□□
第15行 ■牟□□□□□□□□
第16行 遣招□□□□□□□□
第17行 狗□□□□□□□□□
第18行 □□□□□□□□□□
第19行 □□□□□□□□□□
第20行 恩□□□□□□□□□
第21行 官客□□□□□□□■
第22行 牟令□□□□□□□□
第23行 慕容鮮□□□□□□知
第24行 河泊之孫日月之子□生
第25行 之地来□北夫餘大兄■
第26行 牟□□□□□□□□□
第27行 □□□□□□□□□□
第28行 □□□□□□□□□□
第29行 □□□□□□□□□□
第30行 □□□□□□□□□□
第31行 □□□□□□□□□□
第32行 □□□□□□世□□□
第33行 □□□□□□□□□□
第34行 □□□□□□□□□□
第35行 □□□□□□□□□□
第36行 □□□□□□□□□□
第37行 □□□□□□□□□□
第38行 □河泊日月之□□□□
第39行 □□□祖大兄■牟寿尽
第40行 □□於彼喪亡□□祖父
第41行 □□大兄□□大兄□□
第42行 □世遭官恩恩□祖□□
第43行 道城民谷民并□□□□
第44行 育如此□至国岡上□□
第45行 土地好太聖王縁祖□□
第46行 恭恩教奴客牟頭婁□□
第47行 □教遣令北夫餘守□□
第48行 泊之孫日月之子聖□□
第49行 □□□昊天不弔奄便□
第50行 □□奴客在遠哀切如若
第51行 日不□□月不□明□奴
第52行 □□□□□□□□□□
第53行 □□□□□□□□□□
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