2019年8月3日土曜日

『韓学生員任用帳』

『韓学生員任用帳』

  この本は元九州大学教授であった檜垣元吉氏所蔵であるが、おそらく対馬の宗家文庫に架蔵されていた文書であったと思われる(注)。
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(注)現在檜垣元吉氏の所蔵本の大半は九州大学六本松分館に寄付され、目下その文庫の整理が進行中である。したがって断定的なことは言えないが、九州大学への寄贈本の中には、この『韓学生員任用帳』の所在は確認できていない。本稿では泉氏の活字翻刻本の中に幸いにも収録された写真によって、本文書を利用する事としたい。

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  泉澄一の調査によると、この本は享保5年に書かれたと推定される原本(表紙ともに墨付13枚)と、文化14年の写本(表紙ともに墨付14枚)の合冊となっているという。影印を見る限り、その紹介に誤りはない。原本のサイズは、縦26センチ、横19センチ。
  原本の成立が享保12年であると推定する根拠は、次の通りである。まず本の奥書に「享保子年」とあること、そして対馬藩による朝鮮語通事の実施が「享保12年」である以上、この年以前の藩への提出記録であること、かつ写本の成立が文化14年であることから、それ以前の成立であること、の3点からの判断である。この泉の推定は首肯されなくてはなるまい。
  ところで泉澄一の解説にあるように、確かにこの本は雨森芳洲が立案した通詞養成プランであることに間違いないが、詳細に内容を検討してみると、芳洲の当初のプランでは、対馬に通詞養成の教育機関などを設立する考えはなく、むしろ最初から釜山の草梁倭館に送り込み、そこで実地にトレーニングする方式を藩に進言していることに、われわれは注目したい。

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