2019年8月3日土曜日

『朝鮮風俗之事』

『朝鮮風俗之事』

一、朝鮮ハ中古新羅百済高麗と三国に分かれ居申候事処、漢土にて後梁貞明四年戊寅の年に当り王建と申候人本ハ泰封王弓裔と申、王の臣下にて御座候処、泰封王事、甚暴虐なる人にて上下共にうとみはて候故、諸大将指より是を遂ひ退け候而王建を国王に立て、夫より新羅百済高句麗を一統して国號を高麗と名付申走路候、高麗とハ山高水麗と申事の■申候、右高麗四百七十年を歴、漢土にて明の洪武二十五年壬申の年に当り高麗の恭譲王と申国王の■■■、国勢次第に


一 朝鮮国を礼儀の国と申、又は弱国なりと日本の人の申習はし候に心得違ひ有之候■と被存候、天地の間何れの国にても礼なく義なく候ハ、一日も国内治平なるへきやう無之候へハ、朝鮮にかきり、萬国にすくれ申へき様も無之候、元来夷狄の内にて朝鮮はかりハ古来より漢土をたつとひ、明朝に至り候而ハ■■■(「取わけ」?)始終君臣の礼を廃し不申候故、漢土よりの言葉に朝鮮より礼儀なるハなしと称美仕たる事に御座候、尤冠婚喪祭の礼、上下共に文公家礼の法を用ひ学問を好ミ文字を嗜候~~ 

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