2019年8月3日土曜日

日本の「相撲」と韓国の「シルム」と世界の相撲


日本の「相撲」と韓国の「シルム」
          
     
(1)世界の格闘技:日本の「相撲」や韓国の「シルム」は、ロシアの「サンボ」、モンゴルの「ブフ」、中国西南地方トン族の「バンジャオ」などと同様な格闘技の一種。  
     
<世界の相撲>
国・地域
相撲名
アイスランド
グリマ
カザフスタン
カザクレス
スイス
シュビンゲン
トルコ
ヤールギュレシ
セネガル
ブレ
スーダン
ヌバ族相撲
アフガニスタン
パワロニ
モンゴル
ブフ
中国雲南省
雲南相撲
韓国
シムル
日本
相撲
アマゾン川流域
マユラ族相撲


(2)東アジアの格闘技の分類
   シルム型
1,  定まった組み手から始まる
2,  身体の一部に帯をつける。
3,  3本勝負、先に2勝した力士が勝ち。
4,  日本の相撲のように突きや押し、寄りが認められていない。マワシを引き合い、投げの応酬によって相手を倒すのが基本的な戦法。試合場には、足先が隠れるほど多くの砂。
5,  (参考メモ)19841月にシルム競技技術用語制定委員会が発足し、ハングル学会の諮問を受け、手の技術18種類、脚の技術17種類、腰の技術19種類の54種類のシルム用語を、韓国固有語で作り出した。

   相撲型
1,  下半身に衣服
2,  組んだ状態ではなくて、立ち会いから開始。
3,  1本勝負
4,  土俵などの一定の勝負空間がある。

   ブフ型

1,  全身に衣服をまとう。
2,  組んだ状態から開始
3,  1本勝負
4,ルールは日本で言えば相撲と柔道の中間の様で、相手の 肘や膝お尻をつけた方が勝者。手の平は地面についても勝敗には関係が無い。また土俵は無い。「押し出し」や「つり出し」といった決まり手は無い。
 翹
 
(3)日本の「相撲」
1,「相撲」の初見
  ①「(皇極天皇元年7月)乙亥(22日)に、百済の使人大佐平智積等に朝に饗たまふ。乃ち健児に命せて、翹岐が前に相撲らしむ」(『日本書紀』皇極天皇元年7月乙亥の条、古典大系本、240頁、岩波書店)→→この記事は、次のように解釈すべきであろう。皇極天皇元年(642年)7月に、皇極天皇即位の慶賀に来日した百済の使臣である翹岐<「ギョウキ」と読む>らに対して、大和朝廷は招待宴を開催した。その宴で相撲を演じさせた。
  ②後世、相撲の節は7月7日と定まった。
2,「相撲」は、「スマヒ」と訓む。「スマヒ」の語源は、「相手の攻撃を
拒ぐ」の意。
   3,日本語の「相撲(スモウ)」は韓国語の「シルム」に由来すると主張する語源説を提出する人もいるが、それは疑わしい。
           Su ma hi
                         
             ↓
                      Shi l mu

4,  また巷間に、日本の「相撲」のルーツが、韓国で現在行われている「シルム(角抵戯)」に遡ると言われるが、これも確実ではない。
        
①『日本書紀』天武天皇11年7月条や、同じく持統天皇9年5月条には、、「大隅の隼人と阿多の隼人と、朝廷に相撲る」とあり、相撲を取った人間が南日本出身者であったこと。

   ②したがって日本の相撲のルーツを、必ずしも北方系文化の流れである韓国「シルム」にのみ求めるべきではなく、南方系文化、可能性としては「照葉樹林文化」(鮨、鵜飼い、水稲耕作、鳥居などの文化要素)との関連も無視できないからである。

   ③上記したように、現在の韓国「シルム」は、1984年制定、整備された技術を用いて行われており、これと直ちに日本相撲との比較は困難だからである。

5,  日本の相撲界で活躍した在日韓国人として、
①力道山
②玉の海、
③三重の海
など、多数いる。


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