2019年8月11日日曜日

駱駝山房主人であった元京城帝国大学教授藤田亮策先生


周知のように、駱駝山房主人であった元京城帝国大学教授藤田亮策先生は朝鮮本研究第一人者であった。確かに藤田先生は大正11年3月に朝鮮に足を踏み入れられたとき、当時の朝鮮総督府古蹟調査課に勤務されたのを皮切りに、朝鮮半島全土および満州に至る地域の考古学的発掘と整理に奔走された。それゆえに、藤田先生は朝鮮考古学の先駆者としての目覚ましい業績があるだけに、広く考古学者として知られていよう。当時の京城にあった「書物同好会」の主要メンバーであると同時に、その会報に発表された先生の論文は、雑誌紙面の制約上、小編だが、いずれも珠玉の玉稿である。止目のかぎりでも、
  1、「読史閑話」(1)~(5)、『書物同好会報』第3号~第7号、昭和14年3月~昭和15年3月
  2,「華城雑記」『書物同好会報』第8号、昭和15年7月
  3,「駱駝山房書屋展覧目録」『書物同好会報』第10号、昭和15年12月
  4,「鋳字所応行節目に就きて」『書物同好会報』第11号、昭和16年5月
  5,「鋳字雑記」(1)~(2)『書物同好会報』第11号~第12号、昭和16年5月~7月
  6,「吏文と吏文輯覧」『書物同好会報』第15号、昭和17年2月
  7,「衿陽雑録と著者」『書物同好会報』第16号、昭和17年7月
  8,「海印寺事績に就きて」『書物同好会報』第17号、昭和18年3月
などがあり、あるいは、他所で発表なさった、
  9,「新纂東文選につきて」『青丘学叢』第23号、昭和11年2月
の力編もあり、これ以上列挙する必要はあるまい。とにかく藤田先生は朝鮮本に関する当代一流の眼力と知識を備えておいでであった。

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