2019年8月3日土曜日

芳洲研究メモ

『続近世畸人伝』(寛政九年刊)
芳洲雨森氏、名誠清、字伯陽、通称東五郎、木下順庵の門に遊び、新井白石、室鳩巣、祇園南海の諸老とともに名を天下に成せり。宮師の人にして、対馬の文学となり、漸くに昇進す。音をよくして唐音、韓音ともに通ず。韓人、此翁と話して、公三国の音のうちに


 伊東尾四郎「雨森芳洲遺事」『歴史地理』第16巻第5号、明治43年

歌野詮二・川本達『対馬人物志』長崎県教育会対馬部会編、大正6年

森銑三「雨森芳洲のことども」『書物同好会会報』第8号、昭和15年

中村幸彦「雨森芳洲とその交友」(『中村幸彦著述集』第11巻再録)

森山「雨森芳洲の業績」『長崎県史 藩政編』「対馬藩」第4編第5節

水田紀久「芳洲書翰2通」『国文学』第53号、昭和50年(『近世日本漢文学史論考』汲古書院、昭和62年再録)

水田紀久「打旧話ー雨森芳洲と桂洲道倫」『国語国文』第47巻第2号、昭和53年(『近世日本漢文学史論考』汲古書院、昭和62年再録)

水田紀久「芳洲退休前後」『文芸論叢』第8号、昭和52年(『近世日本漢文学史論考』汲古書院、昭和62年再録)

水田紀久「雨森芳洲と大典禅師」『文芸論叢』第12号、昭和54年(『近世日本漢文学史論考』汲古書院、昭和62年再録)

水田紀久「『橘窓茶話』刊前刊後」『関西大学東西学術研究所紀要』第11輯、昭和54年(『近世日本漢文学史論考』汲古書院、昭和62年再録)

米谷均「対馬藩の朝鮮通詞と雨森芳洲」『海事史研究』第48号、平成3年

上野日出人『木下順庵・雨森芳洲』(『叢書・日本の思想家⑦』)明徳出版社、平成3年

米谷均「雨森芳洲の対朝鮮外交ー『誠信之交』の理念と実態」『朝鮮学報』第148輯、平成5年
 滋賀県教育委員会『雨森芳洲関係資料調査報告書』                                             平成6年史料

①『表書札方毎日記』
②『奥書札方毎日記』万治二年(1659年~)現存。
その一、藩政にかかわる藩主の記事
その二、藩主の学問と武芸稽古に関する記事
中江弥三郎・雨森芳洲・松浦霞沼・越常右衛門らによる論語・孟子・小学の講釈
雨森芳洲による「唐詩訓解講釈」(『奥書札方毎日記』享保9年5月27日付)

③国元・組頭方毎日記ーー組頭とは、総務部であり、藩士の人事及び総務関係を担当
その一、藩士の家督。跡目・隠居・死去・役職への就任・辞任


④『奉公帳』(『宗家文庫史料目録』記録類Ⅱ、与頭、奉公帳、9)

0 件のコメント:

コメントを投稿