朝鮮人漂流記録
『組頭方毎日記』享保18年7月29日の条
「四巡漂差使米田勝右衛門相伺候書付以御附紙被仰出候趣左ニ記之。
口上
私召連候漂民之内ハングムと申女年廿八歳ニ罷成来八月産事ニ而先比ヨリ少々相痛候得共只今ニハ快気いたし候節ハ利元俊服用仕候由通詞役堀半右衛門申聞候。就夫右之女於灘廻リ産仕若気分相勝レ不申様子ニ候ハゝ其所ニ致滞留以飛脚御案内申上医師可被指下候哉、其節ハ其浦近キ村宿江揚ケ医師被差下候を相待可申候哉、委細御指図被仰付可被下候。以上
七月廿五日 米田勝右衛門
御与頭衆中様
御附紙
承届候。産軽く候ハゝ不及其儀候、若重く候ハゝ其所へ滞留府内へ早々可被申越候。尤船中ニ而養生難成訳ニ候ハゝ吟味之上村宿可被為仕候
右之通以御付紙被仰出候附勝右衛門召寄申渡ス」 若重く候ハゝ其所へ滞留府内へ早々可被申越候。尤船中ニ而養生難成訳ニ候ハゝ吟味之上村宿可被為仕候
右之通以御付紙被仰出候附勝右衛門召寄申渡ス」
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